「殿に代わって お仕置きよ!」
煙草の煙が充満した狭い部屋。私の隣には、飲み物がそれしかないという理由で手渡された発泡酒(カロリー50%オフ)を片手に扇子をあおぐ友人(チマチョゴリフェチ)。室内に響き渡る威勢のよい楽曲。吹奏楽部が演奏する、原曲を判別することが困難なほどに改竄された「宇宙戦艦ヤマト」にあわせ、人生一番の晴れ舞台とばかりに踊り狂うチアガール。かつての勇姿の面影も今はない、ニヤけた顔の応援団員たち。戦前のバンザイのごとき一糸乱れぬ声でカットバセーと叫ぶ学生たち。そして、爽やかな笑みを浮かべた高校球児。
ブラウン管に映し出される暑苦しい光景。うだるような暑さの中で煙草を吹かし、団扇をあおぎながら私は考えていました。「なんでこいつはヒトん家まで来て、わざわざ甲子園を見ているのだろうか。いや、そもそも甲子園は一体どこが面白いのであろうか。」と。
そこに青春を感じるからなのでしょうか。しかし残念ながら、私は青春というものが嫌いです。小学六年生、夕暮れの校庭で鉄棒の前に佇み、知人たちが好きな同級生の女子が誰かを告白し合っている輪の中にいた時、自分が青春という風景の一部に参画していることに気付いて戦慄したものでした。
何が人々を甲子園に惹きつけさせるのか。一段と大きな歓声の音に、思考は中断されました。どうやらライトあたりの外野がミスをして、結果失点につながたみたいです。がっくりとうなだれるその選手。嗚呼、可愛そうに...これでチームが負けようものなら、彼には決して癒えぬ悔恨の刻印が心に刻まれるのでしょう。投手の大敗、不祥事による出場資格剥奪、外野のミス。甲子園とは、なんと膨大な数のトラウマを前途有望なる若者に刻印し飲み込んでいくのでしょう。そして、駄目押しの一言。「おっとOOくんっ!今度は上手くキャッチできました!」
夏の甲子園に出場できる機会は最高でも三度のみ。であるから、そこでの失敗は、取り返しのつかないものとして選手に刻印されるのです。「ああ!」失敗にたいして投げかけられる友人と観客の歓声とも悲鳴とも分からぬ声。このシーンは夜分、熱闘甲子園でドラマティックな演出を加味されつつ再演されるのでしょう。観客、いるかもしれないスカウトと将来の展望、そしてテレビにまで駄目押しされて刻印される恐るべきトラウマ。
甲子園は熱気に満ちた人々の眼差しの中で、
若者達がトラウマを刻印される処刑場なのかもしれません。甲子園というコロッセウムの中で毎年夏と春だけ行われる祝祭。人々はローマや中世都市の市民のように、犠牲者達が負の刻印を刻まれる瞬間に歓声を上げるのでした。
・・・プロ野球にはなく甲子園に存在する魅力がもしかしてそんなものだったりしたら・・・。隣の友人をチラリと見てみると、どうやらお疲れらしくオネムのご様子。
「なんてわけないよなぁ。」 というわけで、ルサンチマンに満ち満ちたヒキコモリが、暑さで蕩けた頭で考えてみた、甲子園についてのありもしない妄想なのでございました。チャンチャン。
- 2005/08/13(土) 21:30:24|
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